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広島高等裁判所 昭和25年(う)1015号 判決 1951年3月07日

控訴人 被告人 上田富一

弁護人 高橋武夫 相原隆一

検察官 杉本伊代太関与

主文

本件控訴を棄却する。

理由

被告人及び被告人の弁護人高橋武夫同椢原隆一の各控訴の趣旨は末尾添附の控訴趣意書記載のとおりである。

弁護人高橋武夫の控訴の趣意第一点及び弁護人椢原隆一の控訴の趣意第一点の(3) について

原判決認定の事実は一見訴因以外の事実を認定したかの如き観があるけれども、本件起訴状には被告人は、昭和二十五年八月四日午前八時頃徳山市櫛ケ浜駅前において「アメリカ帝国主義者は朝鮮人連盟並に民主青年同盟を彼等の侵略支配にとつて都合の悪い団体であるとみるや暴力団体であると難癖をつけて解散させた。………B29の無差別爆撃による朝鮮人同胞の殺傷をほしいままにしているのは彼等だ。敵はアメリカ帝国主義者だ」等記載したビラ三枚を頒布し以つて占領国の占領目的に有害な行為をしたものであるとあつて、訴因としてはビラに記載された事項が連合国最高司令官の日本政府に対する言論及び新聞の自由に関する覚書第三項(2) にいわゆる連合国に対する破壊的な批評に該るとの見解の下に記載された事項中主要な点を抜粋摘示したものであることが窺われ、しかも原審公判調書の記載によれば原審公判廷において検察官は右ビラを証拠物として提出し適法な証拠調がなされたことが認められるので、被告人の防禦に毫も不利益を与えていないことは明らかである。それ故原裁判所が原判示の如く起訴状に拔粋記載された事項の外に右ビラに記載された事項をも連合国に対する破壊的な批評に該ると認定したとしても訴因以外の事実を認定したことにはならない。原判決には所論のような違法はなく論旨は理由がない。

弁護人高橋武夫の控訴の趣意第二点について。

しかしながら原判示の本件文書の内容を仔細に検討すると連合国殊に米国の朝鮮における政策行動を妨害しその名誉信用を傷付けるものであることは明らかであるから、一九四五年九月十日附連合国最高司令官の日本政府に対する言論及び新聞の自由に関する覚書第三項(2) にいわゆる連合国に対する破壊的な批判に該るものといわねばならない。したがつてこれを頒布した以上破壊的な批判を論議したものと解すべきであるから、原審が之に対し昭和二十一年勅令第三百十一号違反を以つて処断したのは相当であつて、原判決には所論のような違法はない。論旨は理由がない。

同上第三点及び弁護人椢原隆一の控訴の趣意第二点の(3) (4) について。

個人たるアメリカ人を批判することは自由であり右言論及び新聞の自由に関する覚書第三項(2) の違反にならないことは所論のとおりであるが、ある批判が一個人に対してなされたか、或は国家に対してなされたかは単に形式的な文言のみにより判断すべきではなく文言全体を通じその内容がその何れに対してなされたかにより判断すべきであると考える。なるほど本件文書にはアメリカ帝国主義者なる文字が使用されているが、その全文を通読すれば右はアメリカ合衆国の占領政策を誹謗したものであることは明らかであるから、原審が右覚書第三項(2) に違背するものと認め右勅令第三百十一号第二条第三項第四条により被告人を処断したのは相当であつて、原判決には所論のような違法はない。各論旨は孰れも理由がない。

弁護人高橋武夫の控訴の趣意第四点について。

言論出版等の自由は、憲法第二十一条に保障されているところであつて、みだりにこれを侵すことの許されないことはいうまでもないがこれを濫用することも許されないのである(憲法第十二条参照)。そして連合国のわが国に対する占領政策としてはポツダム宣言の条項に従いわが国民の間における民主々義的傾向の復活強化に対する一切の障碍を除去し言論出版の自由の確立をはかることを基本方針の一としているが、他面占領秩序の維持、連合国又は連合国占領軍の名誉、安全の保持等の見地から言論の自由を濫用して占領秩序を混乱に陷れようとする者に対しては例外的に制限を加えているのであつて、右言論及び出版の自由に関する覚書もその趣旨から発せられたものに外ならない。そして原判示の如く連合国に対する破壊的な批判を記載した文書を頒布した以上右覚書第三項(2) に違反することは明らかであるので原判決には所論のような違法はない。論旨は理由がない。

同上第五点及び弁護人椢原隆一の控訴の趣意第一点の(2) について。

占領軍が日本の管理方式として、原則としていわゆる間接管理の方法を採つており右言論及び新聞の自由に関する覚書第一項には、日本国政府は新聞、ラジオ放送又はその他の出版物等により真実に符合せず又は公安を害するニユースを頒布せざるよう必要な命令を発すべしと規定してあるが、今日までこの条項に基いて立法措置がとられていないことは所論のとおりである。しかしながら、昭和二十一年勅令第三百十一号第二条第三項には、この勅令において占領目的に有害な行為というのは、連合国最高司令官の日本帝国政府に対する指令の趣旨に反する行為、その指令を施行するために、連合国占領軍の軍、軍団又は師団の各司令官の発する命令の趣旨に反する行為及びその指令を履行するために日本国政府の発する法令に違反する行為をいうのであると規定してあるので言論及び新聞の自由に関する覚書第三項に違反すれば、右勅令第三百十一号第二条にいわゆる占領目的に有害な行為として同令第四条により処罰されることは明らかである。右と異る見解に立つ所論は採用の限でない。

弁護人高橋武夫の控訴の趣意第六点及び弁護人椢原隆一の控訴の趣意第二点の(2) について。

しかしながら、右言論及び新聞の自由に関する覚書第三項にいわゆる連合国に対する破壊的批判を論議するとは、単に口頭で第三者に対し談話、討論、演説等により破壊的な批判を発表する場合のみでなく、文書に記載し若しくは掲載して第三者に対し閲覧に供し掲示し若しくは頒布してこれを了知し得べき状態におく場合をも包含するものと解するので、被告人が判示のような破壊的批判を記載した文書を頒布した以上いわゆる破壊的批判を論議したものに該るものといわねばならない。各論旨は孰れも理由がない。

弁護人高橋武夫の控訴の趣意第七点及び弁護人椢原隆一の控訴の趣意第三点について。

記録を精査し、被告人の年令、性格、境遇、本件犯行の動機、罪質、犯罪後の情況その他諸般の事情を綜合して検討すると、原審が被告人に対し懲役八月を科したのは相当であつて刑の量定が不当と認むべき事由はない。論旨は理由がない。

弁護人椢原隆一の控訴の趣意第一点の(1) について。

所論出版及び言論の自由伸長に關する件覚書第四項には、最高司令官の命令あるに非ざればいかなる政策又は言論を表明した場合といえども新聞又はその発行人若は使用人に対し日本政府において懲罰処分を執るべからず………と規定してあるが、その意味は右覚書により廃止等を要求せられた従来からの各種の言論出版関係取締法令に基いて処罰、逮捕等をするには最高司令官の命令又は事前認可を要するという趣旨であつて、言論及び新聞の自由に関する覚書の趣旨に反する行為を昭和二十一年勅令第三百十一号により処罰又は逮捕する場合に関するものではないと解すべきのみならず、右勅令第二条第一項には占領目的に有害な行為からなる罪に係る事件については公訴はこれを行わなければならないと規定しているので、原判決には所論のような違法はない。論旨は理由がない。

同上第二点の(1) 及び被告人の控訴の趣意について

原判決挙示の証拠を綜合すれば優に原判示事実を認定することができるので、原判決には所論のような違法はない。各論旨は孰れも理由がない。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条に従い本件控訴を棄却し、主文のとおり判決をする。

(裁判長判事 三瀬忠俊 判事 和田邦康 判事 小竹正)

被告人の控訴趣意

右勅令三百十一号違反被告事件につき、控訴趣意書を提出する第一、昭和二十五年十一月二十七日山口地方裁判所徳山支部は懲役八ケ月を言渡したが極めて一方的な検察官側の証言をとり上げ違反事実としているが当時私は日立笠戸工場の首切該当者として斗争中であり当日も金属笠戸分室員と共に(四名)不当なる首切の状態を訴える為め、又斗争資金獲得のため行商に出ており、八月四日櫛ケ浜駅前に於て配布された反戦ビラとは何等関係ない。

弁護人高橋武夫控訴趣意

第一点起訴状には「第一云々「アメリカ帝国主義者は朝鮮人連盟に民主青年同盟を彼等の侵略にとつて都合の悪い団体であるとみるや暴力団体であると難癖をつけて解散させた、我々労働者は労働者階級解放の革命戦争には積極的に参加しなければならないが、帝国主義者の侵略戦争には爪の垢ほども協力してはならない、B29の無差別爆撃による朝鮮人同胞の殺傷をほしいままにしているのは彼等だ敵はアメリカ帝国主義者だ」等記載したビラ五枚を頒布し、第二云々前同様のビラ三枚を頒布し」と公訴事実を掲記しているだけであるが(一丁表裏)原判決認定事実には「ダレス軍事顧問一行の朝鮮派遣により北鮮に対する直接的な挑発をかけた彼等は人民解放軍の南北鮮統一人民解放を目指す遊撃隊の全敗を喫し最後のあがきとして、ヒステリツクな反ソ反共宣伝に躍起となり更に日本人の朝鮮人に対する反感をあおり、日本人をアメリカ帝国主義者の肉弾にかりたてようとしている、そのためにこそ彼等は在日朝鮮人団体に弾圧を加えるのだ」「これはただ単に朝鮮人だけの問題ではない、この問題こそ、やがて日本人を彼等の侵略戦争の肉弾に使う前ぶれなのだ」「朝鮮民族の統一の戦いに不当干渉して来たのは彼等であり」との認定事実は、起訴状の公訴事実には全然ない。然らば原判決は訴因になつておらない事実につき審判をなした違法があつて破毀を免れない。

第二点本件ビラの内容を検討するに、日本における連合国占領軍に対し有害な行為となるような内容を包蔵してはおらないと思う。それは連合国の日本に対する占領目的が如何なるものであるかを把握することによつて、さような結論を得られる。右占領目的はポツダム宣言極東委員会の「対日基本政策」によつて明らかに示されている。(後者は連合国の軍事占領に対して最高の基準を与えたもの)

ポツダム宣言によれば(一)軍国主義を駆逐し、平和、安全、正義の新秩序の樹立 (二)民族の独立、民主主義的傾向の復活強化(三)言論、出版、思想の自由、基本的人権の尊重 を宣言している。(但し本件に関係ある部分のみ引用)また「対日基本政策」によれば、ポツダム宣言の意図を遂行し、降伏文書を履行し並に国際的の安全及び安定を確立することを歌つている。これを要言すれば日本を平和的な民主国家として再建するにある。しかして本件ビラの内容は結局第三次世界戦争勃発の危機を孕む現下の状勢において、日本及び日本人をその渦中に捲き込ませないために、如何にあるべきかまた何をなすべきかを労働者に訴えたものであつて、その意とするところは、日本を「平和的な民主国家」として飽くまで護つて行きたいという願望以外の何物でもない。果して然らばそれはポツダム宣言及び「対日基本政策」の指向するところ乃至その精神と一致し、毫も勅令第三百十一号のいわゆる連合国の「占領目的に有害な行為」に当嵌らないと思う。

第三点本件ビラにいわゆる「アメリカ帝国主義者」とは、アメリカ合衆国における個人たる帝国主義者即ち独占資本家を指称しているのであつて、アメリカ合衆国それ自体を指しているのではない。このことは「帝国主義者」といつて「帝国主義国」といつていない点から見て極めて明らかである。アメリカ合衆国において帝国主義者もおればこれと対立する共産主義者もおることは顕著な事実であり、これはその他の資本主義国においても同様である。しかして個人たる帝国主義者を批判することは自由であり、このことは連合国の日本に対する占領目的に何等関することではない。帝国主義とは資本主義最後の段階即ち独占資本の支配する資本主義を指すのであつて経済学上普通に用いられている語であり帝国主義に関する論議はあらゆる文献において夙になされており、これが勅令第三百十一号違反に問われたことをまだ寡聞にして知らない。要するに本件ビラにおける「アメリカ帝国主義者」とはアメリカ合衆国における個人たる帝国主義者即ち独占資本家の行動を論難したものであつて、日本における連合国の占領目的をかれこれ批判したものではない。

第四点「言論及び新聞の自由に関する覚書」は如何なる目的で出されたかというと、言論出版等の自由を最大限に保障する趣旨であることは、その第二項を見れば極めて明瞭である。この覚書より十七日程遅れて出された「出版及び言論の自由伸長に関する件」において、その第七項において、従来言論出版等の自由を抑圧した「言論出版集会結社等臨時取締法」「不穏文書取締法」等が廃止されている。これらの点から見ても東条軍閥時代の言論出版等の自由に対する制限抑圧を解放し、最大限に言論出版等の自由を伸長さすというのが、この二つの指令の狙いである。この趣旨に基ずいて憲法第二十一条が言論出版等の自由を基本的人権として保障したのである。しかして右「言論及び新聞の自由に関する覚書」は実質的に勅令第三百十一号の内容をなすものであるから、その効力は勿論憲法以下のものである。然らば憲法の保障する言論出版等の自由に関する保障の趣旨に反しないように、右勅令従つてその内容をなすところの覚害を解釈しなければならぬ。果して然らば本件ビラに書かれている程度の内容を有する文書は言論出版等の自由の範囲内の行為として処罰すべきではあるまいと思う。

第五点「言論及び新聞の自由に関する覚書」は間接管理方式のもとでは日本国政府を拘束するだけでこれが日本国民を拘束するためには、この指令の媒介物としての具体的な立法措置がなされなければならぬ。ところがこの覚書には媒介物たる具体的な立法措置がなされておらない。或は勅令第三百十一号がそれに当るとなす説もあるが首肯できない。蓋し右覚書は言論出版等の自由を最大限に保障する趣旨で出され、勅令第三百十一号は占領目的に有害な行為を取締る趣旨で出されたもので両者はその立法の趣旨を異にしているからである。なお右覚書第一項には「云々必要な命令を発すべし」とあつて、特にこの覚書に基ずく具体的命令を出すように命じている。然るに勅令第三百十一号は包括的一般的命令で具体的命令でないからこの理由からしても、該勅令は右覚書の媒介物たる立法ではないといえる。

第六点被告人は本件ビラの頒布を否認しているが、仮に頒布の事実があつたとしても「論議する」の概念中には、字義的に見ても語源的に見ても頒布行為は含まない。蓋し「論議する」の原語はdiscussであり、これの第一義的意味は、論ずる議論する討議するというようなものであり、また第二義的には意味する味わうという意味である。即ち何れも「口」に関している。故に頒布の如く「口」に関せざる行為はこれに含まれないと解するを相当とする。罪刑法定主義のもとでは字句は飽くまで厳格に解し無闇に拡張解釈すべきではない。以上の理由により原判決は罪とならざる事実を罰した違法があつて到底破毀を免れないと信ずる。

第七点仮に一歩を譲り本件が有罪としても、被告人は昭和二十五年八月二十三日逮捕され同年十二月二十八日釈放されるまで四ケ月も未決におつた。原判決は懲役八月(未決通算四十日)であるから、刑期の半分を未決に過ごした訳である。被告人に対しては刑の執行を猶予すべきが相当と思料する。即ち原判決は刑の量定不当である。

弁護人椢原隆一控訴趣意

第一、原判決は法令の適用に誤りがある。

(1)  連合国最高司令官の日本政府に対する覚書(覚書二と呼ぶ)出版及び言論の自由伸長に関する件(一九四五、九、二七)第四項に依れば「最高司令官の命令あるに非ざればいかなる政策又は主張を表明したる場合といえども、……日本政府に於て懲罰処分を執るべからず」と規定している。

従つて勅令第三一一号を適用し「言論及び新聞の自由に関する件(一九四五、九、一〇)(覚書一と呼ぶ)違反の責任を追求するには、たとえ三一一号に一般的公訴義務の規定があつても右の条件を満たさねばならない。然るにこれを満たしていない。

(2)  覚書一は三一一号第二条第三項の指令に該当しないと解す。覚書一の第一項に依れば「日本政府は、……必要なる命令を発すべし」とあつて、この覚書の国内法手続が命令されているのにも不拘それが出来ていないのでそれは直に日本国民を拘束するものではない。

(3)  原判決は公訴事実以外の事実を判断している。

第二、原判決は事実の誤認がある。

(1)  被告人は本件ビラを配布していない。証人兼松、宮本等の各証言による。

(2)  覚書一の「論議」は「配布」を含まないにも不拘之に該当していると誤認している。

(3)  本件ビラは連合国に対する批判ではない。

(4)  本件ビラは破壊的批判ではない反戦ビラであつて反戦平和の思想と意図がもられてあるので、日本憲法の条規と理想に忠実であるのみならずポツダム宣言等占領の法秩序に照してもそれに反するものではない。

第三、かりに有罪とするも、刑の量定が不当である。戦争反対侵略戦争反対の積極的思想の表明である。之は戦争絶対反対放棄の日本国憲法の精神に副うものというべきである。

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